今回ご紹介するのは、『海の鳥・空の魚』(鷺沢萠 著/角川文庫)です。
1992年に刊行された短編集で、10ページ前後の短い作品が20編収められています。一編一編は短いながら、読み終えた後もしばらく心に残る静かな余韻が宿っています。
登場する主人公たちは、誰もがどこかに小さな引っかかりを抱えています。家族との距離感、恋愛のままならなさ、自分自身の居場所のなさ――決して大きな事件が起こるわけではなく、日常のすぐそばにありそうなささやかな戸惑いばかりです。だからこそ、彼らの不器用さに、読んでいるこちらまで身に覚えがあるような気持ちにさせられます。
けれど鷺沢さんの筆致は、その不器用さを否定的には描きません。うまくいかない日々の中にも、ふとした瞬間、物事が思いがけずうまく回りだす――そんな小さな光のような瞬間が、静かに描かれています。
あとがきに寄せられた言葉も、この作品集を象徴しています。本来空を飛ぶはずの鳥が海に投げ出されるように、あるいは海を泳ぐはずの魚が空に放り出されるように、人もまた本来の居場所ではない環境に置かれることがあります。それでも懸命に生きていくうちに、わずかでも輝くような瞬間が訪れる――そのことを、この短編集は静かに教えてくれます。
余談ですが、私自身この作品と出会ったのは高校生の頃でした。登場人物たちの不器用さや居場所のなさに、当時驚くほど共感したのを覚えています。大人になった今読み返すと、また違った角度から心に沁みてくるものがあります。
鷺沢萠さんは若くして才能を認められた作家として知られていますが、本作はその初期の作品群にあたります。若さゆえの瑞々しさと、すでに人間の弱さを見つめる確かな眼差しとが同居しているのが、この時期の魅力です。
一編が短いので、通勤や就寝前のちょっとした時間にも読み進めやすい一冊です。生きることの不器用さに、そっと寄り添ってくれる物語を求めている方におすすめです。

